コアラの日記!!(仮)

野比コアラの日記!!(仮)

31歳・元教師。ゆるゆると雑記ブロガーしていきます。

ぼくの母。

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うちは貧乏であった。(今も裕福ではないが)

 

父が自営でレストランを営んでいたが、90年代の景気悪化の煽りも受け、

 

21世紀に突入したと同時期に廃業した。

 

 

 

先日、実家に帰った時にその頃の話を母親から聞いたと、真ん中の妹が話していた。

 

※ぼくは長男。妹が二人いる。

 

 

 

 

 

母は父のレストランの手伝いとともに(その頃はアルバイトを雇う余裕もなかった)、

 

自宅で内職も行っていた。

 

時間のある時は僕ら子供も内職を手伝っていたが、内心は面倒臭く嫌であった。

 

しかし真ん中の妹は母を気遣って、率先して内職の手伝いをしていた。

 

 

 

また、母は自作のケーキやムースを用意し、レストランのメニューに加えた。

 

少しでもお客さんを確保し、逃したくなかったのだろう。

 

母が毎週欠かさずに録画している番組はテレビ東京愛の貧乏脱出大作戦だった。

 

司会はみのもんた氏。

 

 

 

当時小6だった一番下の妹が

 

「友達とお祭りに行くから浴衣が欲しい」

 

とねだったそうだ。

 

母は浴衣を買う余裕がなく、母のおさがりをと提案したが、

 

妹は納得できず泣いてしまい

 

「もうお祭りに行かない」とへそを曲げてしまったそうだ。

 

母は悔しかったそうである。

 

 

 

ぼくの中学校の制服(ワイシャツ)も校内バザーで格安(数百円)で買ってきたものを着ていた。

 

また、高校に進学し野球部に入部した際も、練習試合用のユニフォームは同校を卒業した知人からのおさがりを使った。

 

サイズが合わず腿はパツパツだったが、3年間着た。

 

(公式試合用のユニフォームは新品で買ってもらった。よく考えたらその知人も譲れず、高校時代の思い出に残しておきたかったのかもしれない)

 

 

 

 

 

高校生のぼくに母は毎日お弁当を作ってくれた。

 

部活の全体練習終了後に食べるおにぎりも持たせてくれた。

 

他の友達は学食だったりコンビニだったり利用していたが、ぼくはほとんどお弁当とおにぎりだった。

 

 

 

 

 

レストラン廃業後、父は工場勤務となった。

 

アルバイトのようなものだったと思う。

 

あんなに好きだったパチンコも行かなくなった。

 

 

 

それでもぼくら3兄弟は大学・専門学校まで進学させてくれた。

 

ぼくなんか大学卒業時に「芝居をやりたい」といえば、母はやらせてくれた。

 

教員時代、ストレスに悩まされうつになった時、母は「やめていい」と言ってくれた。

 

即答だった。

 

自分が出したお金(大学の費用等)よりも息子の健康状態の方が大事だったのだろう。

 

 

 

 

 

母は偉大である。

 

お金がない当時ですら「お金がない」とはほとんど口に出さなかった。

 

今年で60になる。

 

まだまだ元気だが、彼女が元気で動けるうちに「オーロラを見たい」という夢は叶えてやりたいと思う。

 

 

 

 

 

また、お金に困らない生活をさせてやりたい。

 

孫の顔も見せてやりたい。

 

安心させてやって、この世から送り出したいと思う。

 

 

 

 

 

そういう意味でも、就活とawとブログも頑張っていきたい。

 

稼ぎたいと思う。

 

まったく母の努力を理解できてなかった自分が情けない。

 

 

 

 

 

おわり。

 

 

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